ハイスクール・ベイビー(一)
わたしの住んでいる村には言い伝えがある。
その言い伝えは、1月1日、新年を明けた日におねしょをすると呪いがかかって、
その年の間は、毎日おねしょし続けるというものだ。
どうせ、この言い伝えも新年早々から子供がおねしょしないように
どこかの親が適当に思いつきでこしらえたもので、それが子供づてに広がっていったのだろう。
まったく子供だましもいいとこのばかばかしい話だ。
……そう思っていた。
実際に自分がその呪いにかかるまでは。
◇
『2016年、おめでとう!ハッピーニューイヤー!』
年の瀬、高校2年生のわたし(早乙女 凛)は親友の真奈ちゃんを自宅に招いて遊んでいた。
「はー、とうとう新しい年になっちゃったねー」
「うん、真奈ちゃんが作った年越しそば、おいしー。ほんと料理上手だよねー」
「えっへっへ」
真奈ちゃんとは小学校以来の付き合いだ。
彼女はお調子者だけど意外にしっかりしていて、能天気なふりをして実は責任感が強かったりする。
一方、わたしは自負できるほどおおざっぱでおっちょこちょいなうえに、
その場のノリに流されやすいという、まったくいい加減な性格なのだが、
何故か私たちはウマがあって、小学生のころから今にいたるまで、ずっと仲良しの親友だ。
お互い、頻繁にお泊まりに行きあったりするし、何かイベントごとがあっても
大体一緒に過ごしていたりして、年末年始も毎回、どちらかの家で年を越すというのが恒例になっている。
今回はわたしの家で新年を迎えることになったのだが、
しっかりものの真奈ちゃんはとても器用で料理上手なので、
今年も彼女に年越しそばを作ってもらったというわけだ。
「はー、本当においしいね。温かいお茶とも合いますわ~」
ただのそばでも作り手が違うだけでこんなにも味が変わるものかと、
彼女のそばに感心しながら湯気立つ湯呑をすすっていると真奈ちゃんは思い出したように言った。
「あっ、そういえば凛ちゃん。今日は絶対おねしょしちゃだめだよ!」
「へ?」
真奈ちゃんの何の脈絡もない忠告に「?」マークが3つくらい頭上を跳ねる。
「急にどうしたの? この歳になっておねしょなんかしないよ……。なんでまた?」
わたしがそう問うと、真奈ちゃんはわたしの無知に驚いて言った。
「え? 知らないの? 村の言い伝えよ」
「何それ……」
すると、真奈ちゃんはまゆを寄せながら真面目な顔で説明を始めた。
「小さいころ、おばあちゃんに聞いた話なんだけどさ、江戸時代の頃、
このあたりを支配していた大名にお姫さまがいて、そのお姫さまはこの村の出身だったんだって。
それで、ある新年に、殿様の布団にそのお姫さまがおねしょして、
激怒した殿様がそのお姫さまを村に帰してしまった。
それ以来、そのお姫様は元旦におねしょをしてしまったことを死ぬまで悔い続け、
それが呪いとなり、以来この村で元旦におねしょした女の子は、
その年は毎日おねしょするようになるんだって」
その話を聞いて思わずあきれてしまう。
「そんなの迷信だよぉ。都会の空にはドローンが飛んで、車も自動で走ろうかという
今の時代にそんな迷信なんて……」
「でも、わたしだって、小学校卒業するまではずっと、
元旦はおむつさせられてたよ。念のためだって言われて」
「えー? 本当に~? 」
「本当だって~」
「布団を濡らさなきゃいいんだ?」
「そうみたい」
「あはは、絶対冗談でしょ」
本気にしようとしないわたしを脅してやろうと、
真奈ちゃんはニヤニヤとふざけながら肩でわたしの身体を小突いて言った。
「そんなこと言って、今日おねしょしたら大変なことになるんだから~!」
「いやいや、言い伝えが本当だったとしも、おねしょはないわー」
くだらない冗談でけたけた笑っているうちに、時計の針が夜中の二時を指した。
その頃にはわたしも真奈ちゃんも話し疲れて、ウトウトし始めていた。
こんな遅い時間まで起きているのは年末年始くらいのものだ。
「ふわぁ。真奈ちゃん、もう寝よか……」
「そうだね……あ。 わたしトイレ行ってくる。 凛ちゃんは?」
「あー、わたし別にしたくないし、いいやー」
「え~? おねしょしちゃうぞぉ~?」
「まさか……しないってばー」
真奈ちゃんは鼻歌をうたいながらトイレに向かっていった。
わたしも本当はすこしばかり尿意があったが、それよりも布団の誘惑の方が優っていた。
それにこの歳になっておねしょなんて天地がひっくり返ったって有り得ない。
本当におしっこしたくなったら、そのとき起きるだろうと思っていた。
布団をかぶり、その温もりに包まれるとすぐに頭がぼーっとしてきた。
(初夢は今日だっけ……?明日だっけ……?
一富士二鷹三茄子……そういえば続きがあったような……えーと……)
真菜ちゃんがトイレから戻ってくる前に、わたしは眠りの世界に吸い込まれていった。
――気づくとわたしは教室にいた。
教室にはクラスのみんながいて、先生が歴史の授業をしているところだった。
歴史の授業では、江戸時代の出来事についてクラスメイトが順番に朗読している。
わたしはその朗読を尻目に、強い尿意と戦っていた。
(う~、おしっこに行きたい……)
一刻も早くトイレに行きたいのに、お経のような朗読がいつもより時間を長く感じさせる。
教室の椅子に腰掛けたまま、足をばたばたさせたり、
肩をもじもじさせるなど落ち着きなく授業が終わるのを今か今かと待ちわびていた。
「じゃ、続きは早乙女」
「はっ、はい!?」
尿意に気を取られて油断していると、自分の番が来た。
(なんでこんな時にわたしの番になるの~!?)
必死に我慢しながら教科書を手に取って立ちあがり、朗読を始める。
「江戸幕府が成立すると……戦乱の世が終わり……」
立ち上がると膀胱に溜まったおしっこが揺れて余計に尿意を刺激する。
(くふぅぅぅぅぅ~、おしっこ出ちゃいそう……!)
「あ……あらゆる地域にさまざまな村が作られ、そこには独特な奇習も生まれ……はぁっ」
我慢していると尿意の波が一段と高くなり、思わず膝が崩れそうになる。
「どうした?」
わたしの様子を不審に思った先生が尋ねた。
「はぁっ……はぁっ……」
(このままじゃもれちゃう……!)
『すみません、トイレに』
その一言を言いたいのに、なぜか言葉を発することができない。
「ん……くっ……!」
(やだ……なんで声が出ないの……?)
脂汗を出しながら強烈な尿意をなんとか我慢しようとする。
しかし、それもほとんど限界だった。
≪じょっ……じょじょっ……≫
(ひぃ!? いまちょっと出ちゃった……!)
じんわりと濡れた感覚が股下に広がる。
「どこか具合が悪いのか?」
先生は眼鏡の位置を直して、さらに怪訝な顔でこちらを見つめた。
わたしの異常な様子に教室中の生徒が視線を向ける。
「はっ……! だ、大丈夫です!」
全然大丈夫ではないのに、反射的に大丈夫と言ってしまった。
しかし、このままでは絶対に全部もらしてしまう。
わたしは撤回して、トイレに行きたい旨を先生に言おうとした。
「……う! ……っ!」
トイレに行きたいと伝えたいのだが、なぜか喉がつまってそれができないのだ。
そうこうしているうちにも、ほど少しもらしたおしっこが、太ももを伝っている。
(おかしいよ、いったいどうしちゃったの!?)
思わずパニックになって息苦しくなる。尿意も限界だ。
(くっ……だめ……もう我慢できないよぉっ……!)
「はひぃ……!」
≪びゅっ……!≫
少し息を吸い込んだほんの一瞬、まるで看守の隙をついて
牢屋から脱出する囚人のように、また少しおしっこが出た。
そして、それが決壊の合図だった。
「ああ……やだぁ……」
下半身に力が入らなくなる。
≪じょっ……じょじょじょぉぉ~≫
尿道が弛緩して、自分の意志にかかわらず、
おしっこがすごい勢いで放出され始める。
おまたから太ももに生暖かい温もりが広がる。
「いやぁ……なんで……」
「早乙女? どうした?」
≪ばたたたたた……じょぉぉ~≫
おしっこは早々にパンツから漏れ出し、床にはねて恥ずかしい音を奏でる。
「え? 凛ちゃん……おもらし……してる?」
後ろの席に座っていた真奈ちゃんは、
わたしの足元に容赦なくひろがっていく水たまりを見て、口を押えて驚いた。
「やだぁ……見ないで~」
≪ぱしゃぁぁぁぁぁ……じゅぅぅぅぅ~~≫
「おい、マジかよ……、早乙女がもらしてんぞ」
教室にいる男子にもわたしがおもらししていることに気付かれてしまった。
わたしの足元にはすでに大きな水たまりが出来上がっていたが、まだおしっこの勢いは衰えることを知らない。
水たまりの一部が床の溝に沿っておしっこの道を作り、後ろにいる真奈ちゃんのほうへ流れていく。
(やだ、流れていかないで! おしっこ早く止まってぇ……!)
そんなわたしの心からの懇願もまるで無視しておしっこが流れて、その領域を広げていく。
≪じょろろろろ~~~~~~~びたびたびたびた!≫
おしっこがすべて出終わるまで、ほんの十数秒くらいだったと思うが、
わたしにはそれが何分にも長く感じられた。
「はぁぁ……あ……」
ようやくおしっこが止まると、わたしは腰が抜けて足元のおおきな水たまりのうえに座り込んでしまった。
「凛ちゃん! 大丈夫!? 凛ちゃん!?」
真奈ちゃんがわたしの肩を小さくゆすったが、
わたしはもう恥ずかしさのあまり泣き出さずにはいられなかった。
「うわぁぁぁぁん……えっえっ……ひえぇぇぇぇぇん」
とんでもないことになってしまった。
もう恥ずかしくて学校なんか行けない……!
頭が真っ白になり視界がぼやけていく。
――
「凛ちゃん……凛ちゃん!」
「は……!?」
布団から飛び起きると、真奈ちゃんが心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。
部屋には電気がつけられていた。
「あれ……、わたし……」
状況がよく把握できない。先ほどまで教室にいたはずなのに。
「凛ちゃん、 大丈夫? うなされて泣いてたよ?」
そうだ。思い出した。
さっきのは夢だったんだ……。
「はぁー、なんだ夢かぁ……」
布団に覆い被さるようにばったりと倒れた。
ちらとカーテンの隙間から外を見ると、もう明け方になっていた。
肩透かしをくらったような気持になる反面、夢で本当によかったと安堵する。
「どんな夢みてたの?」
真菜ちゃんが不思議そうに尋ねる。
「あっ、えーと、うん……えへへ……」
とりあえずここは笑ってごまかした。
教室で盛大におもらしする夢を見てたなんて、恥ずかしくて言えない。
「はー、びっくりした……。ぐっしょり汗かいちゃったよ……へへ」
そういいながら、汗の具合を確かめようとパジャマの内側からお尻に手を当てると……。
「ひっ!?」
布団の温もりとほぼ同じ温度だったので気づかなかったが、
パジャマが尋常でないほど濡れそぼっていた。
(そんなっ……うそ……)
今度はパジャマの内側ではなく、外側からもう手を当ててみる。
まるで、水でもこぼしたかのようにぐしょぐしょだ。
おそるおそる上布団をもちあげて、自分のおまたの方を見てみる。
パジャマが濡れそぼって肌にひっつき、大きなしみを作っていた。
おもわず顔が青ざめる。どこからどうみてもこれはアレだ……。
(どうしよ……)
もはや誤魔化せる状況ではなかった。
「真菜ちゃん……」
わたしは観念した。
「うん?」
「絶対、絶対に誰にも言わないでね?」
「どうしたの?」
「その……おねしょ……しちゃったみたい……」
「ええーーーーー!?」
真奈ちゃんは思わず大きな声を出す。
「しっ!声が大きいよぉ!」
「い、今そこに、おしっこ……しちゃったの?」
「う……うん……」
わたしがおずおずしながらうなづくと、
真奈ちゃん面白半分にわたしの上布団を一気にはぎ取った。
「きゃっ!」
敷布団に描かれた大きな世界地図が露わになる。
真奈ちゃんはそれを見た瞬間、笑いをこらえようと頬を膨らましたが一瞬で破裂した。
「ぷっ……! くくっ……きゃははははは!」
腹を抱えて足をばたばたさせながら笑い転げる真奈ちゃん。
「真奈ちゃん、笑いすぎだよぉ……!」
顔から火が出そうだ。高校生にもなっておねしょするなんて……。
しかもそれを親友の真奈ちゃんに見られちゃうなんて!
「きゃっはははは、だって!お、おねしょなんて!ひー!おもしろすぎる~!」
真奈ちゃんは笑いすぎて涙目になっている。
「そ、そんなに笑わないでよぉ……」
「はー、新年早々からいいもの見せてもらったよ、
だから言ったでしょう? トイレ行かなくていいの?って」
「だ、大丈夫だと思ったんだもん……!」
「きゃはは、幼稚園児みたい!」
真奈ちゃんは笑いすぎて苦しそうによがった。
「うう……」
自分が情けない……。まさか元旦からこんな失態をするとは……。
これも全部、真奈ちゃんがあんな話をするから!
……そういえば、言い伝えだと、元旦におねしょすると毎日おねしょするんだっけ。
真奈ちゃんもその話を思い出したようで、わたしを囃し立てた。
「あーあ、凛ちゃん、今年はこれから毎日おねしょだね!」
「もー、からかわないでよ!」
「どれどれ、おねえさんにおねしょを見せてみなさい」
そういって真奈ちゃんはわたしが作った世界地図をまじまじと眺める。
「おお~、これは派手にやっちゃったねぇ」
「ううっ……布団と、シーツ洗わなきゃ……」
「そうだねー。ここはわたしが片付けておくから、シャワー浴びてきたら?」
「うん……ごめんね……」
恥ずかしいけれど、ここは真奈ちゃんの言葉に甘えることにする。
びしょ濡れになったパジャマを脱ごうとすると、真奈ちゃんが鼻の下を伸ばしてこっちを見ていた。
「ちょっと、なんでこっち見るのよ!?」
「だって、なんだか小さい頃の凛ちゃん思い出しちゃった」
「それって……」
「そう、小学生の頃一度、凛ちゃん体育の時間におもらししちゃったよね?」
真奈ちゃんの言うとおり、わたしは小学2年生のころに一度、
体育の時間におもらししたことがある。あの時の体験はかなりトラウマだ。
おもらししたあと、泣きながら真奈ちゃんに保健室まで連れて行ってもらったっけ。
「あの時の凛ちゃんもかわいかったなぁ」
真奈ちゃんは遠い目をしてうっとりと回想にふけっていた。
時々思うが、真奈ちゃんは、少しレズっ気がある。
でも、わたしもそんな真奈ちゃんのことが嫌いではない。
「もおっ! 知らない!」
口ではそう言いながら、サービスのつもりで彼の目の前で脱いでみる。
しかし、パンツまでもおしっこ色で黄ばんでしまっていて激しく後悔した。
真奈ちゃんは笑いをこらえながらそれをまじまじと見ていた。
洗面室に行って洗濯機の中にパジャマとパンツを放り込み、
お風呂の温かいシャワーでおしっこを洗い流しながら夢の回想をする。
それにしても、教室でおもらしする夢なんて……。
ああ、どうしておねしょなんかしちゃったんだろう。
今までおねしょなんかしたことなかったのに……。
ふと真奈ちゃんの言っていた、古くからの言い伝えが頭をよぎる。
まさか、お姫さまの呪いとかじゃないよね……。
これから毎日おねしょする自分を思い浮かべて思わず、首を横に振った。
いや、そんなことありえっこない!
不安な思いを必死に頭から打ち消す。
お風呂を上がって新しいパジャマに着替え、自分の部屋にもどると、
「じゃ、布団はここに干してと……」
真奈ちゃんはおねしょのしみが広がった布団をベランダ越しに干そうとしていた。
「きゃー!!ちょーっと待った!!」
わたしは大声で真奈ちゃんが布団を干すのを制止した。
わたしがこんなに過剰に反応したのは、ベランダの向かいには
ご近所さまの田島さんちがあって、そこには雄大くんという小学生の男の子が住んでいるからだ。
村のご近所付き合いはかなり頻繁で、雄大くんとは学校の行きがけに
途中まで一緒に行ったりすることもあり、よく話したりもする。
彼は基本的に生意気なガキんちょだが、かわいいところもあって
わたしのことを「ねーちゃん」と呼んで親しんでくる。
それだから、わたしもついついお姉さんかぜを吹かせてみちゃったりすることもあり、
要するに彼はちょっとした弟のような存在なのだ。
しかし今、彼にこの事態を知られてしまうと、そのお姉さんという立場を揺るがせてしまうではないか!
雄大くんにおねしょしたことがバレたりすると、もう立つ瀬もない。
「なんでそんな目立つところに干すの!?」
息を切らしながら真奈ちゃんに問い詰める。
「いや、ご近所さまにもこの件を報告しないといけないと思って……」
真奈ちゃんはわざとらしくとぼけた様子で言った。
「も~! ばかばか! 調子に乗りすぎっ!」
わたしは飛びつくように布団を鷲掴みにして引き下げた。
「はは、ごめんごめん」
――その日の夜。
今日は真奈ちゃんも泊まりに来てはおらず、部屋で寝るのはわたし一人だった。
全然信じてなどはいなかったが、真奈ちゃんの言っていた迷信が気になって、
念のため、きちんとトイレを済ませてから寝ることにした。
「ふう、これで安心……っと」
そして翌朝。
わたしが起きたのはまだ朝の6時だった。
あの大量に汗をかいたような、昨日と同じ違和感、それで目が覚めたのだ。
おそるおそる、布団をめくってみる。
「ひぃ……!」
シーツがまたしても世界地図を作っていた。
おかしい、寝る前にきちんとトイレに行ってたのに……!
「またおねしょ……しちゃった……!」
ぐしょぐしょに濡れた布団を見ておもわず呟いてしまう。
それと同時に真奈ちゃんが言った、あの迷信が思い浮かんだ。
「ひょっとして……」
わたしは頭をかかえて叫んだ。
「あの迷信って本当だったの~~!?」
(二)へ続く
その言い伝えは、1月1日、新年を明けた日におねしょをすると呪いがかかって、
その年の間は、毎日おねしょし続けるというものだ。
どうせ、この言い伝えも新年早々から子供がおねしょしないように
どこかの親が適当に思いつきでこしらえたもので、それが子供づてに広がっていったのだろう。
まったく子供だましもいいとこのばかばかしい話だ。
……そう思っていた。
実際に自分がその呪いにかかるまでは。
◇
『2016年、おめでとう!ハッピーニューイヤー!』
年の瀬、高校2年生のわたし(早乙女 凛)は親友の真奈ちゃんを自宅に招いて遊んでいた。
「はー、とうとう新しい年になっちゃったねー」
「うん、真奈ちゃんが作った年越しそば、おいしー。ほんと料理上手だよねー」
「えっへっへ」
真奈ちゃんとは小学校以来の付き合いだ。
彼女はお調子者だけど意外にしっかりしていて、能天気なふりをして実は責任感が強かったりする。
一方、わたしは自負できるほどおおざっぱでおっちょこちょいなうえに、
その場のノリに流されやすいという、まったくいい加減な性格なのだが、
何故か私たちはウマがあって、小学生のころから今にいたるまで、ずっと仲良しの親友だ。
お互い、頻繁にお泊まりに行きあったりするし、何かイベントごとがあっても
大体一緒に過ごしていたりして、年末年始も毎回、どちらかの家で年を越すというのが恒例になっている。
今回はわたしの家で新年を迎えることになったのだが、
しっかりものの真奈ちゃんはとても器用で料理上手なので、
今年も彼女に年越しそばを作ってもらったというわけだ。
「はー、本当においしいね。温かいお茶とも合いますわ~」
ただのそばでも作り手が違うだけでこんなにも味が変わるものかと、
彼女のそばに感心しながら湯気立つ湯呑をすすっていると真奈ちゃんは思い出したように言った。
「あっ、そういえば凛ちゃん。今日は絶対おねしょしちゃだめだよ!」
「へ?」
真奈ちゃんの何の脈絡もない忠告に「?」マークが3つくらい頭上を跳ねる。
「急にどうしたの? この歳になっておねしょなんかしないよ……。なんでまた?」
わたしがそう問うと、真奈ちゃんはわたしの無知に驚いて言った。
「え? 知らないの? 村の言い伝えよ」
「何それ……」
すると、真奈ちゃんはまゆを寄せながら真面目な顔で説明を始めた。
「小さいころ、おばあちゃんに聞いた話なんだけどさ、江戸時代の頃、
このあたりを支配していた大名にお姫さまがいて、そのお姫さまはこの村の出身だったんだって。
それで、ある新年に、殿様の布団にそのお姫さまがおねしょして、
激怒した殿様がそのお姫さまを村に帰してしまった。
それ以来、そのお姫様は元旦におねしょをしてしまったことを死ぬまで悔い続け、
それが呪いとなり、以来この村で元旦におねしょした女の子は、
その年は毎日おねしょするようになるんだって」
その話を聞いて思わずあきれてしまう。
「そんなの迷信だよぉ。都会の空にはドローンが飛んで、車も自動で走ろうかという
今の時代にそんな迷信なんて……」
「でも、わたしだって、小学校卒業するまではずっと、
元旦はおむつさせられてたよ。念のためだって言われて」
「えー? 本当に~? 」
「本当だって~」
「布団を濡らさなきゃいいんだ?」
「そうみたい」
「あはは、絶対冗談でしょ」
本気にしようとしないわたしを脅してやろうと、
真奈ちゃんはニヤニヤとふざけながら肩でわたしの身体を小突いて言った。
「そんなこと言って、今日おねしょしたら大変なことになるんだから~!」
「いやいや、言い伝えが本当だったとしも、おねしょはないわー」
くだらない冗談でけたけた笑っているうちに、時計の針が夜中の二時を指した。
その頃にはわたしも真奈ちゃんも話し疲れて、ウトウトし始めていた。
こんな遅い時間まで起きているのは年末年始くらいのものだ。
「ふわぁ。真奈ちゃん、もう寝よか……」
「そうだね……あ。 わたしトイレ行ってくる。 凛ちゃんは?」
「あー、わたし別にしたくないし、いいやー」
「え~? おねしょしちゃうぞぉ~?」
「まさか……しないってばー」
真奈ちゃんは鼻歌をうたいながらトイレに向かっていった。
わたしも本当はすこしばかり尿意があったが、それよりも布団の誘惑の方が優っていた。
それにこの歳になっておねしょなんて天地がひっくり返ったって有り得ない。
本当におしっこしたくなったら、そのとき起きるだろうと思っていた。
布団をかぶり、その温もりに包まれるとすぐに頭がぼーっとしてきた。
(初夢は今日だっけ……?明日だっけ……?
一富士二鷹三茄子……そういえば続きがあったような……えーと……)
真菜ちゃんがトイレから戻ってくる前に、わたしは眠りの世界に吸い込まれていった。
――気づくとわたしは教室にいた。
教室にはクラスのみんながいて、先生が歴史の授業をしているところだった。
歴史の授業では、江戸時代の出来事についてクラスメイトが順番に朗読している。
わたしはその朗読を尻目に、強い尿意と戦っていた。
(う~、おしっこに行きたい……)
一刻も早くトイレに行きたいのに、お経のような朗読がいつもより時間を長く感じさせる。
教室の椅子に腰掛けたまま、足をばたばたさせたり、
肩をもじもじさせるなど落ち着きなく授業が終わるのを今か今かと待ちわびていた。
「じゃ、続きは早乙女」
「はっ、はい!?」
尿意に気を取られて油断していると、自分の番が来た。
(なんでこんな時にわたしの番になるの~!?)
必死に我慢しながら教科書を手に取って立ちあがり、朗読を始める。
「江戸幕府が成立すると……戦乱の世が終わり……」
立ち上がると膀胱に溜まったおしっこが揺れて余計に尿意を刺激する。
(くふぅぅぅぅぅ~、おしっこ出ちゃいそう……!)
「あ……あらゆる地域にさまざまな村が作られ、そこには独特な奇習も生まれ……はぁっ」
我慢していると尿意の波が一段と高くなり、思わず膝が崩れそうになる。
「どうした?」
わたしの様子を不審に思った先生が尋ねた。
「はぁっ……はぁっ……」
(このままじゃもれちゃう……!)
『すみません、トイレに』
その一言を言いたいのに、なぜか言葉を発することができない。
「ん……くっ……!」
(やだ……なんで声が出ないの……?)
脂汗を出しながら強烈な尿意をなんとか我慢しようとする。
しかし、それもほとんど限界だった。
≪じょっ……じょじょっ……≫
(ひぃ!? いまちょっと出ちゃった……!)
じんわりと濡れた感覚が股下に広がる。
「どこか具合が悪いのか?」
先生は眼鏡の位置を直して、さらに怪訝な顔でこちらを見つめた。
わたしの異常な様子に教室中の生徒が視線を向ける。
「はっ……! だ、大丈夫です!」
全然大丈夫ではないのに、反射的に大丈夫と言ってしまった。
しかし、このままでは絶対に全部もらしてしまう。
わたしは撤回して、トイレに行きたい旨を先生に言おうとした。
「……う! ……っ!」
トイレに行きたいと伝えたいのだが、なぜか喉がつまってそれができないのだ。
そうこうしているうちにも、ほど少しもらしたおしっこが、太ももを伝っている。
(おかしいよ、いったいどうしちゃったの!?)
思わずパニックになって息苦しくなる。尿意も限界だ。
(くっ……だめ……もう我慢できないよぉっ……!)
「はひぃ……!」
≪びゅっ……!≫
少し息を吸い込んだほんの一瞬、まるで看守の隙をついて
牢屋から脱出する囚人のように、また少しおしっこが出た。
そして、それが決壊の合図だった。
「ああ……やだぁ……」
下半身に力が入らなくなる。
≪じょっ……じょじょじょぉぉ~≫
尿道が弛緩して、自分の意志にかかわらず、
おしっこがすごい勢いで放出され始める。
おまたから太ももに生暖かい温もりが広がる。
「いやぁ……なんで……」
「早乙女? どうした?」
≪ばたたたたた……じょぉぉ~≫
おしっこは早々にパンツから漏れ出し、床にはねて恥ずかしい音を奏でる。
「え? 凛ちゃん……おもらし……してる?」
後ろの席に座っていた真奈ちゃんは、
わたしの足元に容赦なくひろがっていく水たまりを見て、口を押えて驚いた。
「やだぁ……見ないで~」
≪ぱしゃぁぁぁぁぁ……じゅぅぅぅぅ~~≫
「おい、マジかよ……、早乙女がもらしてんぞ」
教室にいる男子にもわたしがおもらししていることに気付かれてしまった。
わたしの足元にはすでに大きな水たまりが出来上がっていたが、まだおしっこの勢いは衰えることを知らない。
水たまりの一部が床の溝に沿っておしっこの道を作り、後ろにいる真奈ちゃんのほうへ流れていく。
(やだ、流れていかないで! おしっこ早く止まってぇ……!)
そんなわたしの心からの懇願もまるで無視しておしっこが流れて、その領域を広げていく。
≪じょろろろろ~~~~~~~びたびたびたびた!≫
おしっこがすべて出終わるまで、ほんの十数秒くらいだったと思うが、
わたしにはそれが何分にも長く感じられた。
「はぁぁ……あ……」
ようやくおしっこが止まると、わたしは腰が抜けて足元のおおきな水たまりのうえに座り込んでしまった。
「凛ちゃん! 大丈夫!? 凛ちゃん!?」
真奈ちゃんがわたしの肩を小さくゆすったが、
わたしはもう恥ずかしさのあまり泣き出さずにはいられなかった。
「うわぁぁぁぁん……えっえっ……ひえぇぇぇぇぇん」
とんでもないことになってしまった。
もう恥ずかしくて学校なんか行けない……!
頭が真っ白になり視界がぼやけていく。
――
「凛ちゃん……凛ちゃん!」
「は……!?」
布団から飛び起きると、真奈ちゃんが心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。
部屋には電気がつけられていた。
「あれ……、わたし……」
状況がよく把握できない。先ほどまで教室にいたはずなのに。
「凛ちゃん、 大丈夫? うなされて泣いてたよ?」
そうだ。思い出した。
さっきのは夢だったんだ……。
「はぁー、なんだ夢かぁ……」
布団に覆い被さるようにばったりと倒れた。
ちらとカーテンの隙間から外を見ると、もう明け方になっていた。
肩透かしをくらったような気持になる反面、夢で本当によかったと安堵する。
「どんな夢みてたの?」
真菜ちゃんが不思議そうに尋ねる。
「あっ、えーと、うん……えへへ……」
とりあえずここは笑ってごまかした。
教室で盛大におもらしする夢を見てたなんて、恥ずかしくて言えない。
「はー、びっくりした……。ぐっしょり汗かいちゃったよ……へへ」
そういいながら、汗の具合を確かめようとパジャマの内側からお尻に手を当てると……。
「ひっ!?」
布団の温もりとほぼ同じ温度だったので気づかなかったが、
パジャマが尋常でないほど濡れそぼっていた。
(そんなっ……うそ……)
今度はパジャマの内側ではなく、外側からもう手を当ててみる。
まるで、水でもこぼしたかのようにぐしょぐしょだ。
おそるおそる上布団をもちあげて、自分のおまたの方を見てみる。
パジャマが濡れそぼって肌にひっつき、大きなしみを作っていた。
おもわず顔が青ざめる。どこからどうみてもこれはアレだ……。
(どうしよ……)
もはや誤魔化せる状況ではなかった。
「真菜ちゃん……」
わたしは観念した。
「うん?」
「絶対、絶対に誰にも言わないでね?」
「どうしたの?」
「その……おねしょ……しちゃったみたい……」
「ええーーーーー!?」
真奈ちゃんは思わず大きな声を出す。
「しっ!声が大きいよぉ!」
「い、今そこに、おしっこ……しちゃったの?」
「う……うん……」
わたしがおずおずしながらうなづくと、
真奈ちゃん面白半分にわたしの上布団を一気にはぎ取った。
「きゃっ!」
敷布団に描かれた大きな世界地図が露わになる。
真奈ちゃんはそれを見た瞬間、笑いをこらえようと頬を膨らましたが一瞬で破裂した。
「ぷっ……! くくっ……きゃははははは!」
腹を抱えて足をばたばたさせながら笑い転げる真奈ちゃん。
「真奈ちゃん、笑いすぎだよぉ……!」
顔から火が出そうだ。高校生にもなっておねしょするなんて……。
しかもそれを親友の真奈ちゃんに見られちゃうなんて!
「きゃっはははは、だって!お、おねしょなんて!ひー!おもしろすぎる~!」
真奈ちゃんは笑いすぎて涙目になっている。
「そ、そんなに笑わないでよぉ……」
「はー、新年早々からいいもの見せてもらったよ、
だから言ったでしょう? トイレ行かなくていいの?って」
「だ、大丈夫だと思ったんだもん……!」
「きゃはは、幼稚園児みたい!」
真奈ちゃんは笑いすぎて苦しそうによがった。
「うう……」
自分が情けない……。まさか元旦からこんな失態をするとは……。
これも全部、真奈ちゃんがあんな話をするから!
……そういえば、言い伝えだと、元旦におねしょすると毎日おねしょするんだっけ。
真奈ちゃんもその話を思い出したようで、わたしを囃し立てた。
「あーあ、凛ちゃん、今年はこれから毎日おねしょだね!」
「もー、からかわないでよ!」
「どれどれ、おねえさんにおねしょを見せてみなさい」
そういって真奈ちゃんはわたしが作った世界地図をまじまじと眺める。
「おお~、これは派手にやっちゃったねぇ」
「ううっ……布団と、シーツ洗わなきゃ……」
「そうだねー。ここはわたしが片付けておくから、シャワー浴びてきたら?」
「うん……ごめんね……」
恥ずかしいけれど、ここは真奈ちゃんの言葉に甘えることにする。
びしょ濡れになったパジャマを脱ごうとすると、真奈ちゃんが鼻の下を伸ばしてこっちを見ていた。
「ちょっと、なんでこっち見るのよ!?」
「だって、なんだか小さい頃の凛ちゃん思い出しちゃった」
「それって……」
「そう、小学生の頃一度、凛ちゃん体育の時間におもらししちゃったよね?」
真奈ちゃんの言うとおり、わたしは小学2年生のころに一度、
体育の時間におもらししたことがある。あの時の体験はかなりトラウマだ。
おもらししたあと、泣きながら真奈ちゃんに保健室まで連れて行ってもらったっけ。
「あの時の凛ちゃんもかわいかったなぁ」
真奈ちゃんは遠い目をしてうっとりと回想にふけっていた。
時々思うが、真奈ちゃんは、少しレズっ気がある。
でも、わたしもそんな真奈ちゃんのことが嫌いではない。
「もおっ! 知らない!」
口ではそう言いながら、サービスのつもりで彼の目の前で脱いでみる。
しかし、パンツまでもおしっこ色で黄ばんでしまっていて激しく後悔した。
真奈ちゃんは笑いをこらえながらそれをまじまじと見ていた。
洗面室に行って洗濯機の中にパジャマとパンツを放り込み、
お風呂の温かいシャワーでおしっこを洗い流しながら夢の回想をする。
それにしても、教室でおもらしする夢なんて……。
ああ、どうしておねしょなんかしちゃったんだろう。
今までおねしょなんかしたことなかったのに……。
ふと真奈ちゃんの言っていた、古くからの言い伝えが頭をよぎる。
まさか、お姫さまの呪いとかじゃないよね……。
これから毎日おねしょする自分を思い浮かべて思わず、首を横に振った。
いや、そんなことありえっこない!
不安な思いを必死に頭から打ち消す。
お風呂を上がって新しいパジャマに着替え、自分の部屋にもどると、
「じゃ、布団はここに干してと……」
真奈ちゃんはおねしょのしみが広がった布団をベランダ越しに干そうとしていた。
「きゃー!!ちょーっと待った!!」
わたしは大声で真奈ちゃんが布団を干すのを制止した。
わたしがこんなに過剰に反応したのは、ベランダの向かいには
ご近所さまの田島さんちがあって、そこには雄大くんという小学生の男の子が住んでいるからだ。
村のご近所付き合いはかなり頻繁で、雄大くんとは学校の行きがけに
途中まで一緒に行ったりすることもあり、よく話したりもする。
彼は基本的に生意気なガキんちょだが、かわいいところもあって
わたしのことを「ねーちゃん」と呼んで親しんでくる。
それだから、わたしもついついお姉さんかぜを吹かせてみちゃったりすることもあり、
要するに彼はちょっとした弟のような存在なのだ。
しかし今、彼にこの事態を知られてしまうと、そのお姉さんという立場を揺るがせてしまうではないか!
雄大くんにおねしょしたことがバレたりすると、もう立つ瀬もない。
「なんでそんな目立つところに干すの!?」
息を切らしながら真奈ちゃんに問い詰める。
「いや、ご近所さまにもこの件を報告しないといけないと思って……」
真奈ちゃんはわざとらしくとぼけた様子で言った。
「も~! ばかばか! 調子に乗りすぎっ!」
わたしは飛びつくように布団を鷲掴みにして引き下げた。
「はは、ごめんごめん」
――その日の夜。
今日は真奈ちゃんも泊まりに来てはおらず、部屋で寝るのはわたし一人だった。
全然信じてなどはいなかったが、真奈ちゃんの言っていた迷信が気になって、
念のため、きちんとトイレを済ませてから寝ることにした。
「ふう、これで安心……っと」
そして翌朝。
わたしが起きたのはまだ朝の6時だった。
あの大量に汗をかいたような、昨日と同じ違和感、それで目が覚めたのだ。
おそるおそる、布団をめくってみる。
「ひぃ……!」
シーツがまたしても世界地図を作っていた。
おかしい、寝る前にきちんとトイレに行ってたのに……!
「またおねしょ……しちゃった……!」
ぐしょぐしょに濡れた布団を見ておもわず呟いてしまう。
それと同時に真奈ちゃんが言った、あの迷信が思い浮かんだ。
「ひょっとして……」
わたしは頭をかかえて叫んだ。
「あの迷信って本当だったの~~!?」
(二)へ続く
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No title
次回も楽しみにしています。お忙しい中ですが頑張ってください。
Re: No title
> 鳴く鳥
読んでくださってあざっす!
これからもかんばりますのでぜひぜひよろしくお願いいたします!
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